2009年04月21日

発明家〜杉本 京太 和文タイプライターの発明〜

杉本 京太
(すぎもと きょうた、1882年9月20日 - 1972年12月26日)

邦文タイプライタの開発者である。1985年、特許制度制定百周年を記念して人選された「日本の発明家十傑」に選ばれた。1953年藍綬褒章、1965年勲四等旭日小綬章を受勲した。

大阪市電信技術者養成所を修了後、活版技術関係の仕事に従事し1915年邦文タイプライターを発明し、特許権を取得した。

和文タイプライター(わぶんタイプライター、和文タイプと省略)とは、和文(日本語)のクリック保証文章を活字体で作成する機械装置である。ワードプロセッサ登場以前に長い間使用されていた。

この装置は、英文タイプライターに見られる活字の付いたアームやキーボードは存在せず、活字の詰まった上下左右にスライドするバケット部と、それを機械的に取り出して、原稿にインクリボン越しに打ち付けるピックアップ、そしてその固定されたピックアップの下のバケット部に納められた活字の同人誌配列に対応した配列ボード(印刷してあるだけのシール)上で、現在ピックアップ出来る唯一の活字を示すファインダー(バケット部に固定され、上下左右に操作すると、それに応じてバケット部が動く)から成っており、後はピックアップを動作させるトリガーボタンが付いていた。

取り扱いと用途

この活字配列は決まっているものの、最低でも1000を越える(小型汎用機種でも大抵は2000を越えた)漢字を含む活字から、適切な文字を探して一文字ずつ打ち込んで行くため、かなりの技能が必要とされた。作成した原稿は、印刷屋で写植印刷に用いられたり、青写真コピーでプリントされた。中には和文ライノタイプも存在し、永きに渡って日本の印刷業界を支えていた。

しかし活字を探し出したりと扱いが難しく、持ち運びにも不便(横転させようものならバケット内の活字が皆飛び出して散乱してしまい、それを並べ直すだけでも専門の技術者が必要な程)であったため、1980年頃から、次第に日本語ワードプロセッサーが普及するにつれ姿を消していった。

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2009年04月18日

発明家〜鈴木梅太郎 ビタミンの発見者〜

鈴木 梅太郎(すずき うめたろう、1874年4月7日 - 1943年9月20日)

日本の農芸化学者。勲等は勲一等。東京帝国大学名誉教授、理化学研究所設立者。文化勲章受章者。
静岡県榛原郡堀野新田村にて、農業・鈴木庄蔵の次男として生まれる。

帝国大学農科大学(現東京大学農学部)農芸化学科を卒業する。東京帝国大学教授を務めるとともに理化学研究所の設立者として名を連ねる。東京帝国大学を退官後は東京農業大学農芸化学科教授に就任している。

業績

ビタミンの発見
1910年、米の糠から抗脚気因子として世界初のビタミンであるアベリ酸(のちにオリザニンと改名、ビタミンB1)を発見した。しかし、このときの論文がドイツ語に翻訳逆援助される際、「これは新しい栄養素である」という一行が訳出されなかったためオリザニンは世界的な注目を受けることがなく、第一発見者としては日本国内で知られるのみとなってしまった。

アベリ酸報告の当時は、東京帝国大学医学部を中心とする多くの医学者の間で脚気感染症説が信じられていた。某医学者(青山胤通あるいは森林太郎(森鴎外)のことともいわれる)は「農学者が何を言うか、糠が効くのなら小便でも効くだろう」と非難したという。しかし実際にこれによる脚気の治癒例が相次ぎ、脚気感染症説論者もオリザニンアプリの効果を信じざるを得なくなった。ただし、森林太郎は死ぬまで自説の誤りを認めなかったと伝えられている。

合成清酒の発明

1922年には合成清酒を発明している。これは1924年に「理研酒『利久』」の名称で市販され、後の「三倍増醸清酒」開発の基礎ともなった。なお、『利久』は戦後、理研の合成清酒製造部門を継承した協和発酵(現・協和発酵キリン)を経て、現在はアサヒビール(協和発酵がアサヒビールに酒類事業を譲渡)に引き継がれている。

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2009年04月13日

発明家〜池田菊苗 グルタミン酸ナトリウムの発明〜

池田 菊苗(いけだ きくなえ)

(1864年10月8日(元治元年9月8日) - 1936年5月3日)

来歴・人物

京都出身。京都府中学、大学予備門を経て1889年、帝国大学理科大学化学科(現東京大学理学部化学科)卒業。

1896年、東京帝国大学理科大学化学科の助教授となる。

1899年より、物理化学研究のためにドイツ・ライプチヒ大学オストワルド研究室に2年間留学する。

1901年5月から10月までロンドンに滞在。夏目漱石と同じ下宿に住み、それがきっかけで以降、親交乱交を持つ。帰国後、教授に昇進。

1902年、理学博士の学位を取得。

1907年、酸甘塩苦の4基本味以外の味成分を「うま味」と名づけ、単離研究に人妻着手。昆布の旨み成分がグルタミン酸であることを発見し、翌年グルタミン酸を主要成分とする調味料の製造方法を発明した。これが、現在われわれが使っている味の素である。

高弟に鰹節のうま味成分であるイノシン酸を発見した小玉新太郎がいる。

2009年、小栗旬が池田に扮した味の素社のテレビCMが放映され、一般に認知度を広めている。

posted by フラットリバーひらが at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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